前職は工場勤めでした
おはようございます。パーソナルトレーナー宮原崇です。
気がついたいたらあと10日と少しで6月になります。私がパーソナルトレーナーとして大手スポーツクラブでデビューしたのが30歳になった年の6月2日でした。本来は6月1日の予定でしたが、本社への申請の仕方を間違えて1日遅れのデビューとなりました。
しかし、結果としては横浜市の開港記念日と同日になり今となっては非常に良かったと感じております。
今年で開港160周年となりますが、毎年この頃に行われる横浜スタジアムのバザーに行くのが中学生の頃は楽しみでしょうがなかったです。その理由の一つとして、横浜スタジアムの中が解放されたり、大洋ホエールズ(現ベイスターズ)の選手が使用していた野球道具をチャリティーオークションで購入できたりと、いつもと違う雰囲気で特別感が満載でした。
さて、私がフィットネスクラブに転職したのが26歳の時でした。ちょうど転職しようと考えていた時に、募集中だったクラブの広告に目が惹かれて、ランニング中にテンションがマックスのままフィットネスクラブのフロントに向かい、フロントの方に「面接お願いします!」と失礼きわまりない行動でしたが、なんとか採用していただき、現在に至ります。
それまでは本牧の工場に勤めておりましたので、いわゆるガテン系の仕事からの転職でしたので、フィットネスクラブへの初出勤の時は会員の皆さんもスタッフの皆さんも物凄く輝いて見えました。工場では1日8時間作業中は事故防止の為会話は禁じられておりましたので、黙々とその日の仕事を熟すというものでしたので、フィットネスクラブは笑顔もあり会話もあるという光景を見ただけでポジティブな気持ちになりました。
マシンを磨くのも、挨拶をするのも、プールの床磨きをするのも全てが楽しく、「こんなに楽しい世界があるのか〜!」と思っておりました。当時は私服が2着しか持っておらず、年中上下ジャージで過ごして、携帯電話も持っていないという変わり者でしたが、出会う人々に様々なことを教えられ学ばせていただいお陰でパーソナルトレーナーとして生計を立て、気がついたら二児の父親となり、家庭を持つことが出来ました。
USJを再建させた著名なマーケターの森岡毅氏は「進路に迷いが生じるのは自分の中で「軸」がない」と著書で書いております。当時のことを振りかえると武道空手と中国古典を愛読していたことで「世のためになることをしたい」という自分自身の中での「軸」が出来ていたからこそ、行動に移して環境を変えられたのだと思います。
初心を忘れず、今日も頑張ります。
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